《日 時》 平成21年1月21日(水)
《講 師》 元・滋賀ダイハツ会長、現・滋賀ダイハツ社主(オーナー)
後藤 昌幸 氏
《テーマ》

−私の体験的経営観−

顧客管理と求められる中間管理職の役割等

1.再建させるためには

後藤氏は、倒産寸前だった滋賀ダイハツ、兵庫ダイハツを再建に導いた。その時のお話について、ご講演いただいた。


・重役は部下の2倍の週80時間、管理職は1.5倍の60時間働く、それが嫌なら役職を返上すればよい。地位の上の人ほど会社に早く着いて部下を迎え、一番遅く部下を見送る。一般社員は定時に早く帰らせ、残業代がかからない重役がいっぱい働けばよい。

・朝が遅いのは全くだめで、始業時間の2時間前に到着し、トイレ掃除、拭き掃除、床掃除をする。女性社員がする必要はない。その後、拠点から1km先まで、ご近所の清掃をする。近隣の方から喜ばれ、口コミで評判は広がる。

・社長が一番に出勤する。挨拶は先にしたほうがよい。朝の挨拶は先手必勝だ。

・決算は、期末にある含み損・評価損をさらけ出さなければならない。在庫はクズ、売掛金はカス、受取手形は紙切れ、と呼んでいる。現金以外は信用できない。

・幹部は「損益と資金繰りが別の動きをする」ということを理解していないといけない。販売ができても、現金回収の遅い人は、幹部になることはできない。

・部下は都合のいいことしか報告をしない。お客様のお叱りの声を社長が現場を歩き回って受け止めなければならない。情報は現場にしかない。量も多く、質も良い。



2.滋賀ダイハツにて

 決算によってさらけ出した滋賀ダイハツは年間売上15億円に対して、欠損が6億円もあった。明日の手形も落とせないような資金繰りになり、大阪のメーカーに借入のお願いをしに行くと、社長の即刻辞任、親戚一族で保有している株券の名義換えを条件としてきた。その後、メーカーからの出向社長を迎えたが、後藤氏が社長代行を命じられた。幹部社員は全員辞表を出し、残ったのは平社員だけ。人件費は60%ダウン、その他の経費も含めると経費は半分になったのに、売上高は落ちていない。重役は現場に出ず、座ったままでの指示。現場に出向く社員は残ったままなのだから当然なのである。4年後、欠損はなくなり、5年目から配当できるほどになった。出向社長は引き上げ、後藤氏は社長に抜擢された。出向社長は、任せることに徹し、自由にさせてくれた。その代わり、夕刻には電話や訪問にて、逐一報告した。上司に対してきちっと報告のできる社員は出世する。


3.人生の戦略

 滋賀ダイハツの再建に成功したが、「経営と資本は別だ」というメーカーの基本方針として、株は1株も譲ってもらえなかった。そこで「一生をかけて株を買い取ること」を人生の戦略とした。滋賀では、メーカーに与える影響が低い、大都市圏に出るぞと決心した。メーカーの社長に二度もの直談判。人生の戦略があるから強かった。そして、当時10億円という一番大きな赤字を抱え、メーカー直営の一番規模の大きい店、兵庫ダイハツの社長になるチャンスを得た。

『大きな目標をもって飽くなきチャレンジをすれば、
                   成らんと思うことでも必ず成る』

家族同伴での引越しは、本気でやると受け入れ側もみてくれた。兵庫ダイハツでは、組合と衝突をしながらも間接員の人数を減らす改革を行った。また、お客様に挨拶ができていない本社部門には、挨拶を3日間徹底的に練習させた。給料の原資はお客様であり、お客様に支えてもらっているのだから。上の人が言わないからだめなのだ。
 赤字は3年で消し、5年間で一番のマーケットシェアにした。メーカーの社長に実績を評価していただけるならばと、株の買取りをお願いした。例外中の例外として、時価での買い取りを認められたが、株価は額面の15倍にもなっていた。全部の取得は無理だったが、60%を買い取ることはできた。株は人手に渡ったら、買い取ることはほとんど不可能。会社経営は厳しいものだが、株を渡さないためにも赤字は一ヶ月も出すことを認めてはいけない。「何でも売れ」と。
K・T
 
 
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