《日 時》 平成18年11月14日(火)
《講 師》 ROY KATSUYAMA 氏
《テーマ》

−カナダから来日講演−

日系人がカナダの真珠協会会長になれた理由

 1.きっかけ

私がトロントに住み、CBCテレビ局に勤めていた頃、私の80歳になるおじいさんの兄が東京からトロントにやってきました。そのおじさんは東京にダイヤモンドの会社を持っていまして、日本で一番最初にダイヤモンドを輸入した人です。私の姿を見て、真珠の商売を覚えたらいいのではないかと勧めました。おじさんに日本に行って真珠の商売を覚えるようにと言われた時、真珠の商売よりも、日本に行きたいという気持ちがありました。

私のいとこが東京のホテルオークラアーケードにある中井商会宝石店を経営しておりましたので、二年間修行させて頂きまして、自分でカナダに帰って真珠の商売を始めようと決心がつきました。



 2. 高橋副社長との出会い
 

神戸が真珠のメッカですので、取引先の真珠会社を探していたある日、高橋パールの看板を見つけ、飛び込みで訪ねました。私と同じ年頃の男性(副社長の下のお兄様)が出て来た時に、私はカナダへ真珠を輸入したいことを説明しました。非常に良い品で値段も正直に出してくれたので、副社長のお兄様の印象に感動し、高橋パールの真珠を扱いたいと決めました。その後、社長(副社長の上のお兄様)に会ったとき、難しい顔をしておられたのでこわかったです。1,000ドルしか私の貯金に入っていませんでしたが、8,000ドルのパールを仕入れてカナダへ持って行きたいと説明しました。社長はしばらく考えて、許しを出してくれました。

真珠を選ぶ中で私のアイデアは質の良い真珠を扱おうということでした。カナダでは、まずバンクーバーの宝石店数店に入って商品を見てもらったところ10数本買ってもらい、そこで商売の自信を持ってトロントへ帰りました。

早速トロントで毎日宝石店を回りました。1日で25件回ったこともありましたが、10件当たって1件買ってくれるかどうかでした。その後、車で離れた町にも売りに行きました。又、カナダ全体の大都市に飛行機で回ったこともありました。すると、真珠の質が良いことを分かってくれる高級宝石店のお客様が次々とできました。私は高級マーケットを目指してサービスに力を入れ、商売を40年間続けることができました。

私が1966年に商売を始めた二年後、副社長がトロントで私の仕事を手伝ってくれました。その頃従業員もいなかったので、大助かりでした。二人で真珠を持ってカナダ中、車と飛行機で売りに行きました。

『ロイさんとカナダを走り回っている時の積極的に入り込んでいくという積極性、丁寧なサービス精神、カナダ中の宝飾会社がロイさんと取引したいと言っているのは、彼の人となりを見てのことだと思う。また、当時の高橋パールの社長は、飛び込みで来たロイさんの言っていることにうそがないという彼の人柄を信じて真珠を預けたのだと思う』【高橋パール副社長談】



 
 3. 大久保社長・神本社長との出会い

156年前から中国でたくさん真珠を養殖するようになりました。

1989年に私は香港へ行って、淡水真珠を仕入れました。その次の年、香港にいる友達から大久保社長を紹介されました。その3日後日本に行く予定だったので、神戸で大久保社長と再会しました。そこでここにいる神本社長と出会いました。その出会いがなければ今日この場に立つこともありませんでした。



  ロイさんは温和で優しそうな印象でした。人と人との繋がりをとても大事にされ、すばらしい功績を作られたのだと思いました。


M・N
 
 
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