《日 時》 | 平成17年1月28日(金) | |
《講 師》 | 元・滋賀ダイハツ会長、現・滋賀ダイハツ社主(オーナー) 後藤 昌幸氏 |
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《テーマ》 | 経営の黄金律と全社員経営のあり方 | |
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はじめに 私が扱ってきた製品は世間から二流ブランドといわれてきた軽自動車でした。16ディーラーを凌駕してトップをとるというのは簡単にはいかないが、35年連続新車販売台数で滋賀県でトップをとってきました。なぜそうなったのかお話します。 |
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私が辿った道 私は自分が就職した会社は2社倒産し、くびになりました。しかし、私は2回倒産会社で、上の人がいい加減なことをして会社を潰す原因を知ることができて、ラッキーだったと思っています。 27歳の時に父が創業した滋賀ダイハツに入社。数字がおかしい帳簿を見てびっくりした。ある日手形が落とせなくなり、メーカーに頭を下げてお金を融通してもらいに行ったが、貸付条件として@社長の即刻辞任A親戚一同で持っている株を今日中にメーカーに引き渡してもらいたいといった内容だった。 次期社長はメーカーから派遣されてきたが、「親父がたててつぶした会社、再建は息子の君がやりなさい。」と任された。幹部社員までが退社し残ったのは平社員。給料の高い人が辞めて人件費、交際費、旅費がダウンし、辞めた幹部の仕事は一人で引き受けた。ところが売上が落ちないで、経費が半分になった。不思議なもんだな、経営はおもしろいと思った。 残った社員に質問してみると、幹部は座り込んで部下に対して指示命令していただけ。現場を駆けずり回っている人間は誰も辞めていないのにどうして売上に影響するものかという答えだった。この時"動く=稼ぐ"攻めの経営をしなくてはならないという経営の極意がわかった。重役や管理職の仕事は現場へ行くこと。行かなければ現場のことがわからないからである。 その後もメーカーに行く度に「株をお譲り頂けませんか?一生懸命やりますから。」とずっと言い続け、利益でもダイハツの中でトップを目指しメーカーのために貢献したつもりだったが、それでも絶対譲ってはもらえなかった。この時私は一生かかって株を買い取ろうという決心をした。 そこで滋賀県ではなく大きな赤字を抱えた兵庫県でやりたいと言った。兵庫県でも社内で座って仕事をしている男性社員がたくさんいたので、一部を残して営業に配置転換した。 部下を使うコツは布団から起きるときと一緒→布団から起きるときは先に頭から起きる、寝るときは足から入る→地位の高い人ほど早く会社に来て、そして部下の顔を見ろということだ。私は現場に6時に行き、5年間兵庫県の営業所をくまなく周り、1年で県下新車販売台数トップになりました。 |
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おわりに こうして会社を立て直し、「もう誰が社長になっても大丈夫、もし実績を評価してくださるのなら親父がお渡しした株を買い取らせて欲しい、私は一生かけてこの目標のために頑張ってきたのです。」とお願いしました。するとメーカーは、「ただし株の値段は現在の時価だぜ。」と言い、私の一族資本を60%にして下さいました。 くれぐれも株は人手に渡らないようにして下さい。そのためには一か月も赤字は許さないと言い続けてください。車が売れない月はラーメンやそうめん何でも売りました。社長が妥協して認めたり仕様がないといってはいけません。トップの決意こそが社風を変えるのであるから頑張って下さい。 |
M・N |
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